2012年10月14日
双子のパラドックス(ノベライズ版)#07
作:zyun/イラスト:soriku
かくして彼は帰ってきた。
けれど、彼の知る地球はもう無かったのである。
かくして彼は帰ってきた。
けれど、彼の知る地球はもう無かったのである。
7
「間もなく着陸します。到着後、迎えの者が来るまでその場で待機していてください」
CV01Aの言葉が船内に響く。するとほどなくして機体はゆっくりと地上に着地した。そしてゆっくりとハッチが開き、船外に出た彼はゆっくりと大地を踏みしめる。そしてしばし呆然と立ち尽くした。
「これは……」
彼がまず驚いた事は、ロケット発射台のあった場所の変貌ぶりであった。そこは宇宙船の着陸場所でもあるため発射台はすでに解体されたのだろうから、出発時とは景観としても異なるということは当然わかっている。というか建設物がひとつ無くなっているとか、そういうレベルではない。眼下にあるはずの街は跡形も無くなっており、なにやら見慣れない形のタワーのような建造物が所々に立っているだけで、後は何もない更地のようになっていたのだ。もはや故郷の街の面影どころか木の一本すら残っていない程の変わり様。一年そこそこでここまでの早変わりなどどれほど素晴らしい舞台装置を仕込んでいても不可能であろう。それとも出発直後に知事だか市長だかの突然の思いつきで提案された都市開発があっさり議会を通って、即ノーベル賞受賞確定と噂されるほどの超画期的な建設技術が発明された上、超敏腕の一級建築士と匠の腕をもつ職人が数万人集まって即着工し、そのまま飲まず食わずの不眠不休で一年間フルに工事してここまで作り上げたとでもいうのだろうか。それでも無理がありそうな規模の変貌ぶりなのだ。さっぱりしすぎたその地面も、やけに均等でツルんとした不自然な整い方をしていて一見して人工のものであることがわかる。その上、人影がほとんど見当たらないのは一体どういうことだろうか。彼が立ち尽くしたまま思慮にふけり始めると、
「おかえりなさい、レン」
突然自分に向けられた声に振り返った彼は、その姿を見て驚愕した。
「……リン……なのか?」
声をかけてきたその対象はリンにとてもよく似ていた。声も見た目も、多分自分以外の誰かが見てもきっと見分けがつかないであろうと思うほどにそっくりだった。けれど、彼はどこか違和感を覚える。この数週間もモニター越しに会っていたのだからここに居ても何ら不思議はないのだが、なぜか瞬時に「彼女はリンではない」という確信を持ってしまっていた。その確信を持って、静かに尋ねた。
「……誰だよ、お前」
「……ごめんなさい。お察しの通り、私は鏡音凜じゃない。私はCV02A。ORのひとつ」
どうしたことか突如として身体が熱くなり、心臓が全身で鳴っているような感覚。混乱しているわけではなかった。けれど、すんなり理解できる冷静さもなかった。それでもこれまでの経過からひっかかっていた事柄について、たった今自分の中で立ってしまったその仮説の回答を、このORは持っているのだと直感した。
「ひょっとして、この数ヶ月くらいモニター越しに通信をよこしてたのはお前だったのか?」
「……そう。でもあなたを騙すとかそんなことが目的じゃなかったの。それだけはどうか信じて欲しい」
今のように直に会えばすぐに偽者と見破れたのに、モニターを通すとこんなにも長い間全く気づけなかった。彼女は否定した、けれど結果的にレンは騙されていた。OR自身は虚偽を含む言動を一切行えないようプログラムが組まれている。だが嘘がつけないとしても、指示を与えるものが意図して偽装の方向性を示すことは可能だろう。彼女は、彼女を仕向けた上の者たちにはレンを騙す事自体を目的とした意図は無い、と言いたいらしい。たしかに、あそこで自分にドッキリなどかけたとしても一時の暇つぶしにしかならないだろうし、ここまでネタ晴らしを先延ばしにする意味もない。何かそうしなければならない事情が起きたと思うのが妥当だろうと彼は考えた。とすると懸念すべき事はただひとつだ。
「そんなことはもうどうでもいい。リンは? 本物のリンはどこにいる?」
今回のように何もない宇宙空間で孤立した状態で長期間の任務となると一番配慮すべき事はパイロットの身体的健康状態と精神衛生状態である。ならばその配慮を欠いてしまうような危険性を伴う事態になれば、どんな面倒な手段であれそれくらいのことはしてくる可能性は十分にありうる。リンに何かあったのだ。それを自分に悟られないためにわざわざ偽者をモニター越しに出した。
「……私に、ついてきて。行けばわかるから」
正直、あまり行きたくなかった。考えれば考えるほどに悪い想像しか出てこない。それでも現状について何もかも把握できないでいる今は、ついていくより他に何もできない。相変わらず心臓が全身で脈打つように大きく響き渡っている。リズムを打つかのようなそれに自然と歩調を合わせていた。
「実はこの辺りの人たちはすでに移住待機地区に移っているの。だから街には私たちORのようなロボットやコンピューターの類しか残っていないわ」
「……移住待機地区?」
「そう。地球が滅亡するっていっても世界全体が一気に住めなくなるわけじゃなくて生存可能な地域が徐々に狭まっていくの。だから他の惑星への移住を開始するより前に住めなくなる人々が段々と出てくる。そんな人たちに一時的に移り住んでもらう場所が待機地区」
「ここにはもう住めないってことか」
「今はまだ全然平気よ。でも移住開始までには確実に住めなくなる。ここがこんな風に人工的に手が加えられたのは他の地区への影響を極力抑えるため」
「じゃあ、その待機地区へ行けばリンがいるんだな?」
「……もちろんあなたにはそっちに移ってもらうわ。でも今向かっている場所はそこじゃない」
言いながら彼女はふいに立ち止まった。そこは例の変な形のタワーの下だった。具体的に表現すると、高く突起したところに卵を突き刺したような、きのこのような建物だ。何のためにこんな形で、ここに立っているのだろうか。
「私のマネしてついてきてね」
そう言って彼女がその建物の壁面の一部に触れたその瞬間、一瞬で彼女の姿が消えてしまった。
「は?」
思わず声が出る。何が起きたのかさっぱりわからない。いよいよ本格的に何もかもが理解不能で混乱しそうになってきていた。人間、理解の範疇を超えるモノや現象を前にすると恐怖心が強く出てきてしまう。今のレンがまさにその状態である。自分の目の前でついさっき起きたことを信じるなら、おそらくこの壁に触れればどこかへ瞬間移動するのだろう。でも、どこへ?そもそもどこへ行くというのか。この町の住人たちが移動した場所がはっきりしているのならそこにいけばいいことなのに。ヤツについていって本当にリンがいる場所に辿り着けるのだろうか。
「……どうしたの?」
「わっ!!」
疑心暗鬼に陥りしばらくそこで動けないでいる彼のもとに、戻ってきたORが声をかけた。ああ、ただそれだけのことに大きな声を出してしまった……などと気恥ずかしい思いでいるのは自分自身の余裕の無さと、相手がリンにそっくりだからだろうか。そんな微妙な心理状態のまま、またもやその場で固まっていると、
「……戸惑ってるかもしれないし不安もあると思う。だけどお願い、私を信じてついてきて。リンはもうすぐそこだから」
そうして静かにレンの手をとると彼女は再び壁に触れた。ビビッている間もなく、一瞬にして彼は見覚えのある街の中に居た。まさに瞬間移動だ。
「ここは……僕たちが住んでた街……でいいんだよな?」
「そう。あなたとリンが過ごした街そのものよ。まあ、さっきの場所から真下に降りてきただけなんだけど」
街は消されたわけではなかった。あの更地の下にそのままあったのだ。ということはここは地下だということだが、どういう技術なのか天井のかわりに青空が広がっていた。おまけに雲まで浮かんでいる。相変わらず人の姿は皆無だが、見慣れた景色は彼の波立った心を落ち着かせるのに絶大な効果があった。彼女はしばらくの間だまってこちらの様子を伺っていた。きっと彼が落ち着きを取り戻すのを待っていたのだろう。そうして彼に配慮するよう十分な間を置いた上で、どんな波風も立たないような穏やかな口調で言った。
「さあ、行きましょう。あなたたちの住んでいた家に」
<つづく>